ある時から、「美白のミューズ」として世に知られるようになった香里。今となっては、飛ぶ鳥を落とす勢いで『ショップチャンネル』に出演したり、セミナーで全国を回ったりと年中多忙な日々を送っている。
香里はどうやって、「美白のミューズ」「美白大臣」としてここまで認知されるようになったのか。
そして、香里が美白にこだわる理由とは?
このコーナーは、①マダム、②まだ有名ではない方、③女性でも活躍している人にスポットをあてて紹介する企画で、
まだ社長にはなっていなかったが化粧品会社の宣伝塔として活躍する香里が密着取材された。
その後、香里のスター性を見抜いたプロデューサーから、オファーが続々!
香里は立て続けにいろいろな番組に出演した。もちろん、マダムとして。
そんなとき、これまた香里のスター性、そして、肌の白さに目を付けた広告代理店が、
「美白のミューズ」として露出し、クリスタルジェミーを盛り上げていかないか、という提案をしてきたのだった。
こうして、香里に初めて「美白のミューズ」という看板がつけられたのである!
香里の肌の白さは、雑誌社も放ってはおかなかった。
雑誌デビューは、ハースト婦人画報社「25ans(ヴァンサンカン)」。
ラグジュアリー・マガジンとして知られるこの雑誌で、香里は華々しくページを飾った。
「美白のミューズ」として紹介され、香里のメディア露出が増えるにつれ、香里の肌の白さが注目されるように。
でも、香里が白く輝く美しい肌にこだわる影にコンプレックスがあったことを知る人は少ない。
「色が澄み渡るように美しい西洋の方に、強い憧れを抱いていたの」
香里は言う。
「アメリカやヨーロッパの女性は、本当に陶磁器のようななめらかで白い肌をしているでしょう?
純粋に羨ましくて。私なんて、黄色みを帯びた肌の上に、スキー焼けで黒々としちゃってたものだから」
香里の「美白」への思い入れは、西洋の方への憧れから始まったのだ。
夏には海やプールで、冬にはスキーで日に焼けていた香里。
「海やプールはこんがり小麦色になるのが楽しいけれど、私の場合、顔中に"そばかすぷっち"(=そばかす)ができちゃったの。悩んでいたら、母にクレイパックを薦められて。パックを続けていたら、"ぷっち"がなくなったのよ!」
「美白」の天敵、やがて大きなシミになる"ぷっち"が、クレイパックで予防できることを身をもってわかった香里が、化粧品開発に携わってからすぐに開発したのは、もちろんクレイパックだった。
「今でも私は、自社製品のクレイパックを自ら注文して大量に買い込んでいるの」
日本の「美白力」はスゴイ!
香里のキャッチコピーは、その後、時代とともに進化。
2010年頃からは「美白大臣」も加わり、今、香里は「美白」を体現する宣伝塔として、
その地位をさらに確固たるものにしているのだ。
「日本の美白力がスゴイ! というのは、世界ではもう常識ですよね。西洋の方は、20代前半を過ぎると、紫外線に弱い肌質というのもあって一気にお肌が衰えてしまいますが、日本人は若い頃から美白のお手入れをしているから、20代以降も美しさを維持できる人が多い。私は、日本が誇れるこの美白力を、これからも応援していきたいの」
香里はこれからも、「美白」を追い求めて走り続ける―!
「ようこそ美白の国、日本へ」
次回は、「ジェミーチェンジ」や「ジェミーネフェルタリ」などクリスタルジェミーのシリーズ名に込めた想い、そして、「チェンジプレシャス」で香里が起こしたミラクルに迫ります!